うちの息子は0~1歳前半の頃から、割と大人しくて自己主張が少ない子でした。
「イヤイヤ期なんて来ないのでは?」
とさえ思っていましたが、2歳目前にして最近、何がなんだか笑えるくらいイヤイヤしていて、あー、我が家にも無事に到来しました、イヤイヤ期。と認めざるを得ないところです。
「昼飯前なのは承知だが、今すぐ自販機で売っているジュースが飲みたい」
以前、来たるべきイヤイヤ期に備えようと、イヤイヤ期についてネット検索していた時期がありました。その時に見つけたのが、「イヤイヤ期の言い換え」です。
これはおそらく、「ネガティブなイメージの言葉だからいけないんだ!もっと、言い方から変えていこうよ!」
という、この時期の幼児の意味不明な言動をポジティブに捉えるための工夫のひとつです。
その時はその記事を、「なるほど。まぁ自我が芽生えてきた証拠だし、否定する権利があることが嬉しいとか、子どもにも色々あるしね。なるべく余裕を持ち心穏やかにいたいものだ」くらいの、なんつーか、想像力皆無〜な感想を持ち見ていました。
「ベビーカーに乗せるなんてひどい、なんて仕打ちだ」
これはあれですよね、妊娠中に、産後の友達の家族へのグチを聞いて
「え〜うちは産後もいつまでもラブラブ夫婦でいられる自信しかないわ!」
とか思うのに似ている。
そう、「実際その人の立場になってみないと分からない」ってやつですよ。人間はいつどんな状況でも、結局それです。
今、幼児のイヤイヤ期の実態を目の当たりにしているわけですが、マジで不可解極まりないというか、こちらの予定・努力・苦労を全て無意味なものにして、何もかものやる気を奪う超絶しんどい時期なんだなってことが分かりました。
「おもちゃ売り場から離れたくない、もうここに住みましょう」
とにかく大きな泣き声や物理法則を無視した要求、支離滅裂な言動にも疲れるのですが、何よりしんどいのが、秒速で移り変わる、乙女以上に繊細なハートについていくことです。
夕刻に
「車に乗りたくない!僕はアンパンマン号に乗って公園へ行く!」
と号泣し、
「すまん…遊びたいのはわかるがもう暗くなってきたし、お買い物だけして帰ろう…ご飯の準備をしなくてはならないんだ…つうか公園へは午前中にさんざん行きましたよね…」
と、イラつきと罪悪感を感じつつ無理やり車に乗せますと、なんとその5秒後にはスッと泣き止み、車内でかかる音楽に合わせてニコニコと歌っていたりします。えっ何?この、時間とか私の罪悪感の、無駄中の無駄感。
お買い物中も些細なことでガチ切れ、ヘロヘロと家に戻ると今度は「家に入りたくない!」とまた号泣。
「家の中に入るなんてナンセンス。僕は玄関先で暮らします」
「申し訳ございませんがこれから洗濯物を取り込み畳み、あなた様のご飯とお風呂の支度をしなくてはなりませんので」
と、担いで家に入ると、1分後にはケロッと泣き止み、テレビを見て笑っている。上着を脱がすと、今度はおやつをよこせと騒ぎだす。その前に手を洗おうというと、また号泣。洗濯物はまだ外だ。
こういうのよ、この、秒速で激しく変動する心の上下に付き合わされる感じ。しかもこれが一日中。毎日。これがめちゃくちゃ疲れるのよ。だって正直、こんな大人が職場にいたら殴っている。
とりあえず目下、「イヤイヤ期を言い換えるのは自由だが、言い換えたところで何になるの?」感すごくて、本当驚きです。
わかるよ、2歳児が
「行動しながら考える生き物」
「やりたいことを親の都合で邪魔されたらそりゃ怒る」
「時間に余裕を持って接してあげることが大切」
とかさ、本当その通りだよ。でもさ、そんなことより今すぐこの「服を脱いだら突然お風呂に入りたくなくなった」と、寒い脱衣所で全裸で泣き喚く子どもに対して即効性のある対処法を教えてくれよ。ちなみにこのあと「お風呂から出たくないし保湿なんてあり得ない」の号泣も待っているから、そちらの対処法もセットで頼むよ…もう本当、馬鹿正直にこれに付き合っていたら何もできないよ…
こんな毎日を過ごして今、私は「イヤイヤ期を言い換える」工夫より、
イヤイヤ期はしんどい。きつい。意味わかんない。精神修行。まぁ悩んだところでどうにもならないから。生かすことだけ考えて、あとはやり過ごそう。辛すぎて発狂しないように、アイスとお菓子のストックは切らすなよ。耳栓も買っておけ。
って言葉のほうが、よほど心に響いてきます。
でもこれも当事者である今だからこそ言えることで、息子のイヤイヤ期突入前の私ならやっぱり
「イヤイヤ期を言い換えるって発想いいね〜!それに対して、精神修行って。耐えるしかないってこと?根性論は好きじゃないなぁ」
と思っていたに違いないわけです。だって、「実際その人の立場になってみないと分からない」のだから。
同様にして考えると、きっと私は、息子のイヤイヤする気持ちも、全然理解できていないんだろうなぁ。
そう思いながら今日も私はとりあえず、号泣する息子を担いでお風呂に入るのです。