子育て中歯科医の雑記帳

30代前半の歯科医師です。2歳ほどの息子の育児中。育児情報・お出かけ・美容ダイエット・歯について。

電車で泣く赤ちゃんと、公園のカモ

公共の場で息子が騒ぐとヒヤヒヤする。可能な限りすぐさま抱っこで対応するのだが、抱っこ紐を装着し息子を抱っこする間は大抵泣きっぱなしなので、周りから何と思われているかなぁと思う。

赤子が泣いた・騒いだ時、場合によっては抱っこ等の刺激を与えず、ただ時が経つのを待つ方が良い場合もあるのだが、周囲からすれば「そんな事情は知ったことではない」わけだし、自分も子供がいなかった時は「何を放置している。1秒でもはやくその赤子を黙らせろ」と思っていたので、「打つ手なし。時の流れをひたすら待つしかない」が理解されないのは仕方のないことだと思う。とりあえず抱っこでもして「必死に対応していますから許してください」オーラを出すしかない。

 

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電車に乗る直前でお昼寝から目覚め、車内で騒いだ息子を連れ、心身ともに疲労感満載な状態でスーパーで買い物を済ませ(スーパーでも騒いだ)近所の公園へ立ち寄ると、たまたま散歩中のカモの親子に出会った。

子供が4羽と、母親と思われる親鳥が1羽。

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水路にいるのが子供。親鳥は水に入らず、子供の水遊びを見守っていた。

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以前の私なら「か〜わ〜い〜い〜(写真パシャア)」としか思わなかっただろうが、子を持ちさまざまな思いをカモに馳せた。

「この親鳥、4羽も子供がいるのか。しかも余裕にみえるな。私はひとりの息子の世話でも瀕死なのにすごい…」

「この親鳥も水浴びしたいんじゃないかな。でも子を守るために自分のやりたいことを我慢しているのかな…」

妄想もここまでくると病気だが、子を産み一年ちょっと育児をし、明らかに自分の思考は以前と変わっていた。

 

「公共の場で騒ぐ子供」についても感じ方は激変した。

私は若い頃子供が嫌いで、子供を可愛いと感じたことはなく、公共の場で騒ぐ子を見ては「親がしっかり管理しろよ!」と苛ついていた。近づくもの全て傷つける、尖ったナイフである。

子を産み育てている今では、よその子の泣き声を聞けば「そらきた!」と声の主を探し、目尻を下げ、

「あれまぁ飽きちゃったかな?それともお腹空いちゃったのかな?」

「元気で何よりだね〜」

である。無意味に尖ったナイフは離乳食用プラスチックスプーンくらいにはなった。

そして、産前の自分を恥じる思いさえ湧いた。私は子持ちの方々に対し、なんと無配慮、無理解であっただろう。何故、少しでも相手を分かろうとしなかったのか。

 

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親鳥の、子を見つめる眼差しがとてつもなく優しく、真っ直ぐで、私はギクッとした。私はあのような眼差しを息子に注ぐことを、「いつ何時も」はできていない。ちょうど今日、電車の中で騒ぐ息子を「頼むから静かに」と、急かすような、責めるような目で見てしまったばかりだ。

それは電車の中で「はやく静かにさせろ」と自分が向けられた目と、とても似ている気がした。そしてそれはかつて自分が、子持ちの方々に向けていた目でもある。

 

SNSで最近、「騒ぐ子を放置する親が嫌い」「電車内で子を放置し携帯をいじるのはネグレクト」というような文面を見かけた。それに対し、「子供や親への理解をもっと!」とか、そういうことはあまり思わない。昔の自分を考えると、そう思う権利すらない気がする。それと、社会からの理解など無理だと思う。子持ちの気持ちを表現する媒体は、その類の学問に通ずるものでもない限り、ほとんど子持ちの目にしか触れないからだ。権利を主張する法律でも作られればようやく変わるかもしれない、程度の話ではないだろうか。

 

ただ、息子が騒いだときに、せめて私は、息子を責めるような目で見るのはやめたいなぁと思った。

 

カモの親子は水浴びを終えると花壇の茂みの奥へと立ち去った。2人で見たカモの親子のことを、いつか息子は忘れてしまう。今日私が向けてしまった責めるような目も、忘れてくれるだろうか。